毎朝、日めくりカレンダー「稲盛和夫箴言集」をめくる。
8日は、『「人間として何が正しいか」を判断基準とする』だ。
稲盛さんはこのように仰っている。

われわれ人間は、生きていく中で常に判断を迫られる。特に、経営者は些細な問題であっても、判断ひとつ間違えれば会社の存続に関わってくる。その時、人は往々にして損得を基準に判断して誤ってしまう。私は、人間として正しいか正しくないか、よいことか悪いことかという正不正、善悪を判断基準にしてきた。経営も人間が人間を相手に行う営みなのだから、そこですべきこと、あるいはしてはならないことも、人間としてのプリミティブな規範に外れたものではないはずだ。人生も経営も、人間を律する道徳や倫理に即して行われるべきだし、また、その原理原則に従えば、大きな間違いをしなくて済む。

損か得か、偉いかそうでないか。
人間はどうしても損得で判断することが多いし、人と接する場合は、この人は偉いからこのように対処しよう、偉くないからと思うとぞんざいな対応をしてしまいがちだ。私は、それは致し方ないことだとずっと思っていた。銀行というお堅い職業であったこともその理由だろう。
私は「私の経営能力は貧弱なものだが、高い志を持った経営者がその志を果たすためにはどうしてもお金という血液が不可欠だ。そんな経営者の夢の実現のために、銀行家として尽くしたい」そんな想いで入社したはずだった。しかし、いつのまにか、私が忌み嫌う銀行屋に成り下がっていた。それを稲盛和夫さんに気付かせていただいた。

人間は何のために生きるのか。
私の志とは何か。

銀行家と銀行屋との違いは、志があるかないかだ。「昨今の銀行員は銀行屋に成り下がっている」と思った。そして、若気の至りで銀行を辞めた。それは私の生き方である。私の子どもたちは2人は銀行員になっている。それなりに頑張っているようだ。私は私、息子たちは息子たちだ。それぞれの人生の中で「人間とは何か、生きるとは何か」を真摯に考えてほしいと思うだけだ。

正しいこと。善きこと。夢、ロマン。人のために生きる。真っ直ぐに生きる。人間だから間違ったこともするだろう。それを気がついたら、その時が肝心だ。素直に反省して、たとえ遅れても正しいと思った道に戻ることだ。人間は神様ではないのだから、そのことに後悔することはない。反省はひとしきりしなければならないが。

そして、人の心が分かる「襞の多い、温かい人間」になることだ。

小林 博重

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