今日11月3日は文化の日。明治天皇の誕生日であり、戦前は天長節とか明治節とか言っていたそうな。
明治天皇がお生まれになった日だけあって、統計的に圧倒的に晴れの日になることが多いのだとか。そう言えば、11月3日が雨模様という記憶は私が幼い頃も能登でも殆どありません。

能登では、七尾が別格の晴れがましい町です。
私が幼い頃は、11月3日の文化の日と5月の青柏祭には、祖父は七尾に連れて行ってくれたことを思い出します。
七尾では、このような年2回の祭があり、子どもの私は祖父に連れて行ってもらい、台湾バナナを鱈腹食べることが楽しみでした(その当時の台湾バナナはそれは高級品でした)。 私はただ一人の内孫であったせいもあり、祖父母には殊の外可愛がられて育ったような気がします。家庭の事情で、私は祖父母と3人で暮らしていたということもあるでしょう。

私の孫は、東京に1人、大阪に3人いますが、殆ど会うことはありません。私自身が年中無休の仕事人間であることもあり、孫たちの世話ができるわけではなし、敢えて会いたいとも思いません。
孫たちには、私の生き方や働き方、人生哲学を確りと伝えることができればと思っており、そのためには「世のため人のために」仕事をすることがなにより大切だと思うからです。

人にはその人なりの生き方や考え方や価値観があり、十人十色。こちらがが正しくあちらが間違っているというものではありません。 ただお天道様に恥じない生き方をしなければならないということだけです。

私は祖父からよく日露戦争の話を聞かされました。
祖父は、乃木将軍の下、上等兵で二〇三高地を攻めていました。乃木将軍が馬に乗って全軍を見廻りされていた姿を拝んだのだと言っていました。祖父にとって乃木将軍は神様のような存在だったのでしょう。それはある意味で幸せなことだったと思います。血の川の水を飲んだとも、鉄兜に弾丸が貫いた跡があるのに何でもなかったのは神懸かりだったとも言っていました。 「ぼぅはお国のために尽くすのだ」が口ぐせでした(「ぼぅ」とは私のことです)。

文化の日になると、明治天皇や乃木将軍を神様のように崇拝していた祖父のことを思います。

私も孫たちに、祖父が私に与えたような“生きた証”を伝えたいものだと思っています。

小林 博重

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