白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよう

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「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよう」(若山牧水)
この歌は確か中学生時代の現代国語の授業で覚えた短歌だったような気がします。もう半世紀以上になるでしょうか。妙に感動したことが記憶にあります。

白鳥(しらとり)に自分の姿を見ていたのでしょうか。空の青や海の青にも染まらない純粋で純真な生き方をすることは、孤高の人生を生きることで、それはあまりにも辛く悲しいことではないか、哀しいことではないか。
世間は濁世であり、如何に若者は純真無垢であっても、大人になるということは世間の濁流に飲み込まれなければ生きていくことはできない。それはあまりにも哀しいことではないか。 中学生の私はそんなことを考えていたのだなと、若さは純真無垢でも弱く脆いもののような気がします。

半世紀以上経って、私はそんな濁世に染まっては来なかった、そして若気の至りはあったにせよ、真っ直ぐに半世紀前の自分の純真無垢さのままに生きてきたのだと自信を持っていうことができると、ある意味で「よくそのまま生きてきたな」と自分を褒めるところまではいきませんが、そのままで後半生も生きていきたいと思います。

私のように、多くの人を知り人のお手伝いをして生きることを生業にしていると、間々、人の裏表を垣間見ることがあります。
騙されることが圧倒的に多い人生ですが、それだけに人の醜さ弱さを知ることが多いのです。純真無垢に生きている人は殆どといっていいほどいません。この私だってそんなものです。しかし、純真無垢に生きたいと思います。
どちらかと言えば、女性よりも男性のほうが世間ずれしていてピュアではない。そのように生きなければ自分を守れないと、肌で感じているのかもしれません。女性のほうが心は美しいと思います。 これからは女性の時代です。美しい生き方が大手を振ってできるような時代になってくれることを望んでいます。

私は、孤高の人生を生きることが、牧水が歌う「哀しい白鳥」ではないのではないか。純真無垢な生き方を通すことで、人を巻き込み、世の中を変えていくことができるのではないか、「哀しい白鳥」はそれは自分だけの世界に生きることであり、社会に対して前向きに積極的に生きることではないと私は思います。 私は哲学的生き方をしているといっても、頭で生きているわけではなく、そんなに頭がいいわけでもありません。だから楽観的人生を生きることができるのかもしれませんが。

MapとOUEN Japanを通して多くの人たちのお世話になって生きていますが、人間の裏表を前向き、楽観的に見るようになりました。争い諍いは何の得にもならないとも学びました。
喧嘩したい心になることも間々ありますが、グッと堪えて少し我慢すると、喧嘩が何の得にもならないこと、自己満足でしかないことだと、思うようになりました。少しは成長したのです。人間は一生成長するものです。

今日明日の土日で頭をクリアにして、来週1週間の石川県の出張を実りあるものにしたいと思います。

小林 博重

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