曽野綾子さんが産経新聞朝刊に『受けることと与えること』と題してエッセーを書いています。

私も妻もいずれも母親が存命しており、私も前期高齢者になったこともあり、身につまされる内容でした。

人間とは何か、生きるとは何か。
生涯をかけて追求する本質的で奥深いテーマです。

〜高齢者が、長生きすることは、確かに問題だ。悪いとは言わないが問題も出てくる。他人の重荷にもなるが、当人が苦しむ部分も出てくる。 本当は生きているだけで、人間存在の意味はあるのだが、ただ食べて排泄して眠っているだけでは人間ではない、という主観にとらわれている人もいる。
聖書の中で私が好きな言葉は「受けるより与える方が幸いである」という箇所だ。これは人間の尊厳と密接な関係がある。現実の問題として、人は他人から与えられる時も嬉しいが、人に与えた時も嬉しいものなのだ。
最近の若い人は「受けるのが権利」というふうにしか考えない。与えたら損になると思っている。同様に年寄りにも強欲な人が出てきて、親戚や社会からもらって当然という顔をする人もいる。 こういう人は、何のために長い年月を生きてきたのかと思う。
人間は子どもの時は、おっぱいを飲ませてもらい、抱いてもらい、手を引いて歩かせてもらう。6歳でランドセルを買ってもらってから20歳近くまで、人間は受け続けて、やがて与える側に回る。
「与える光栄」というものが生まれたのだ。少なくとも他人からどんなに世話を受けても、感謝を忘れなければ、相手に満足や嬉しさを贈るという形で与えている。それが成熟した人間の姿勢だと思う〜

このことは応援(OUEN)の哲学と全く同様です。
応援する側は「頑張れ」という激励の言葉を与え、応援される側は「ありがとう。頑張ります」という感謝の言葉を返します。
感謝を示すだけでも、それは応援する人に「満足や嬉しさ」を与えているのです。
当に『感謝』は応援の真髄であり、応援は双方向のコミュニケーションなのです。

小林 博重

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