2018年 6月 16日の投稿一覧

西郷隆盛の魅力

西郷隆盛がなぜ大西郷と多くの日本人に愛されているのか。それは彼の座右の銘であった『敬天愛人』に全て凝縮されています。

敬天愛人
天を敬い、人を愛す。

敬天
才ある人ならば、人を欺くことは朝飯前かもしれませんが、そのような人を西郷は嫌いました。
人は欺いても自分は欺けない。自分の行いは当の自分が一番分かっているからです。自分とは即ち「天」です。
天を敬うとは自分自身を敬うことです。自分自身を大切にすることです。全ての始まりは自分自身なのです。
自分に正直に生きること、自分に嘘をつかないことが天を敬うということです。

愛人
人を愛することです。相手の立場に立って物事を考えること。相手が何を欲しているのかと、まずは考えることです。論語がいう『恕の心』です。ほんの少しでもそんな気持ちになることは「愛人」の入り口です。まずは一番身近な人から、次に自分の周りから、そして少しずつ拡げていくことです。そのことが一番自分を愛することにつながるのだと思います。

西郷さんは、佐賀肥前が生んだ英傑、二度の総理大臣を務めた、早稲田大学の創設者である大隈重信を評価しなかったようです。
大隈は極めて有能な維新の英傑です。西郷が評価しなかった理由は?
大隈には血の匂いがしない。こういう人間はいざとなったら腹をくくれない、覚悟がない。命を懸けられない人間は信用できない、ということらしいのです。

西郷さんの大隈評を知って、ますます西郷さんが好きになりました。

小林 博重

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運鈍根の教えは「鈍根運の教え」

元京都大学総長の平澤興さんの講話選集『生きる力』の第4巻「生き方の知恵」を読みました。

その中の「運・鈍・根の教え」〜才に溺れることなく鈍に生きる〜は、なかなか示唆に富むお話しでした。

運・鈍・根は、鈍・根・運の順番で考えることがいいようです。

まずは、鈍。「鈍くさい」という言葉があるように、今の時代には「カッコいい」生き方ではないように思われがちです。しかし、「鈍」は味がある言葉です。 平澤先生は、この「鈍」を4つの項目で考えていらっしゃいます。

Ⅰ.鈍
1.ごまかさないこと。
本当の意味の鈍を持っている人はごまかせない。
本当の第一流の人物の特徴は、馬鹿正直でごまかせないような性格だ。本当に伸びている人はそういう人が多い。

2.右顧左眄しない生き方をする。
カミソリではなく、刃の欠けた鉈(ナタ)のような生き方。器用では駄目。
世阿弥は、親父(観阿弥)にどうしても一つかなわないことがある。それは自分の足がききすぎる。足が器用すぎるのだと。

3.本気でやっていると、この仕事だけは誰にも負けないという自信のようなものができる。力の自覚。
才ある者は才に溺れてはいけない。
ごまかさない、自信を持ってやるとか、自分の仕事に対するプライドを持つ生き方をすること。

4.才を持った鈍であれ。
才を持ちながらそれを鈍な方向に用いること。物惜しみしないこと。
「鬼に金棒」とは、才を持った者が鈍に動くこと。カミソリではなく、鈍刀のように動くこと。

Ⅱ.根
1.続け得る力
根気が続くこと。力が続くこと。へたばらないこと。

2.困難を打ち破る戦闘的・闘争的な力
戦闘力を持った根。ファイト。

Ⅲ.運
仕事なり全ての面でやるだけのことをやった人、徳を積んだ人、そういう人のところに運が来る。
[徳は得]である。

「鈍・根・運の教え」を絶えず念頭に置いて、精進努力をしたいものです。

小林 博重

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私の「生き方哲学」

OUEN Japanを応援いただく企業は順調に増加しており、それに並行してMapがその企業のビジネスを応援する機会も増加してきています。有難いことです。

私は、人好きの性格も奏功して多くの人たちと面識を得る機会を持ちますが、その中から長くお付き合いする(させていただく)方は、きっと半数にも至らないと思います。

特に、先方から私を訪ねてくださる方はいろいろな想いがあってのことでしょうし、ビジネス絡みで私と繋がることがメリットであるだろうと思われてのことだと思います。
私はOUEN Japanでボランティアのようなことをしていますが、ボランティアも資金がなければやりたいことは何もできないわけで、MapでビジネスをすることでOUEN Japanの活動が継続できるのです。そのため、訪ねてくださる方々と良好な関係を長く続けたいと思っています。

では、良好な関係が長続きする人とそうでない方の違いは何か。
思い出したように朝の静寂の中で考えます。今朝もうつらうつらしながら夢心地で布団の中で考えていました。

私にとって、その結論は至極単純なものなのです。
それは、相手のことを考えて言動をしているか、自分のことだけなのか、と言うこと。
ちょっとの仕草でそのことは分かる時があります。それを時間の経過で確認すると、それは確信になり、私はいくら利があるビジネスであってもお手伝いはしない、できない、そんな気持ちにはならないのです。
直ぐに成果に繋がるかどうかは殆ど関係がないようです。相手のことを考えようとしている『恕の心』が少しでもあったら、それが垣間見えたら私はお付き合いしたいと思います。
相手のことを思いやることが究極は自分のためになるのだと分からない人は、物事を深掘りしない人であり、人間の深みがない、襞のない、面白くない人間なのだと、私は思います。

理と情の観点では、私はどちらかといえば「情の人」と思われがちですが、自分なりの生き方哲学があり、その点では「理の人」なのだと思います。

理は利に通じます。
「損して得取れ」という諺もあります。人は利だけでは動かない。利だけで動く人の集団は長続きしない。
人間としての正道を生きることが理であり、それが利に通じる。その理(=利)に情を添える。そんな生き方をしたいと思います。

小林 博重

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