昨日(5月16日)は妻の誕生日でした。
夜に帰宅して水谷歩さんからお祝いで贈っていただいた花束で、誕生日であることに気がつきました。スマホのカレンダーには入力してあるし、昨日は何度もカレンダーを開いていたのに気がつきませんでした。 一番身近な人の誕生日を、その日が来ているのに忘れてしまっているとは、これはいったいどうして?
妻は呆れてものが言えなかったでしょう。

この前の日曜日が母の日で、子どもたちから母の日のプレゼントを貰って喜んでいたことで、私はすぐに誕生日が来ることを忘れてしまったのかもしれない。 はたまた認知症の前触れか。ワーク・ライフ・ブレンドとかっこいいことを言っていても、ワーカーホリックだったのか等々、寝付きが悪い昨晩でした。

妻と初めて会ったのが私が26歳、妻が23歳でしたから、あれから40年が経ちました。思えばあっという間のような気がします。
銀行マンとして全うすることなく44歳で退職したことが妻には全く想定外だったと思いますが、当の本人も一度しかない人生でそんなリスクを冒すことなど考えもしなかったことです。
この40年間の時代の変貌ぶりは、人の人生に対する考え方を大きく変えてしまったようです。私自身も安定志向の人生からリスクにチャレンジする人生に、コペルニクス的転回がありました。人は年を重ねるに従って、人生への諦めや妥協や柵等々、濁世の波で、幼心に抱いていた純粋な心根が薄汚れてくるものです。人はこれを大人になった、世の中が分かってきたと言うのでしょうが、そんな大人になることは私は願い下げです。 本物の大人は、幼心の純な心根を一生持ち続け、自身に与えられたこの世の使命を果たすべく、人生を駆け抜ける人なのです。

自由のために死するてふ
主義を愛して死するてふ
男の児の意気地今もなお
石に砕きて砕き得じ
(第四高等学校寮歌『北の都に秋たけて』金沢)

混濁よ それ人の世か
紛乱よ それ世の様か
されど悲歌せじ徒らに
吾等の使命重ければ
市の叫びをよそにして
永遠の理想に進まなむ
(第六高等学校寮歌『新潮走る』岡山)

高校時代は、旧制高等学校の寮歌を友と共に高歌放吟したものです。その歌詞は青春の息吹を彷彿とさせるものでしたが、こと前期高齢者になった今、その燃え上がる熱情はどれだけ残っているのかを自らに問いかけて、酸いも甘いも分かった本物の大人が40年前の青臭いが美しい理想の実現を目指して自らと闘いたいと思うものです。

この妻のおかげで今日の私があります。
幼心の心を持って夢を追いかける小林少年がここにいます。
沢山の人達に支えられて夢街道を走り抜けようとしている私がいます。それも支えてくれている人達は、老若男女を問わず、特に女性が多いことも妻のおかげでしょう。

これからは5月16日は有意注意で失念してはなりません。一事が万事です。心しなければなりません。
改めて妻に深く感謝して、夢街道を走り抜きたいと思います。

小林 博重

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