喧騒を極めた泥仕合の衆院選を終えて

喧騒を極めた衆議院議員選挙は自民党の大勝、立憲民主党の躍進、希望の党の完敗で幕を閉じました。

今回のドタバタ劇で私が感じたことは、ほとんどの日本の政治家は聡明才弁ではあっても根っこはサラリーマン根性で凝り固まっている三流政治家なのだと言うことです。 政治哲学云々以前に、政治家としての矜持を持ち合わせていない。如何にして選挙に受かるか、右を見て左を見て、こちらに付けば有利だと節操も無く右顧左眄する。 希望の党、立憲民主党、無所属を問わず、民進党の議員のほとんどがその部類に入ります。
また、その人間の弱さや醜さを利用しようとした策士、これもいただけない。スポーツの死闘の後の爽やかさは微塵もありません。

政治は所詮そんなもんだと言ってしまえばそれまでですが、本来国民を導いていくべき政治家は人間として尊敬される人格を持つべきではないだろうか。 選挙が終わって各党代表の弁を聞いていても、話す言葉がほとんど腹に落ちてこない。言葉を信じることができない。皆さん、もう少し人間を磨いたほうがいいと感じました。

日本の政治は三流です。しかし、こと経営に目を転ずれば日本には数多の一流経営者がいます。
私が見習うべきは哲学を持った哲人経営者の言動だと改めて思いました。

小林 博重

『君たちはどう生きるか』

『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)
1937年(昭和12年)7月に発行された歴史的名著だとか。今年になってマガジンハウスからマンガ版と同時発売されました。池上彰さんが推薦文を書いています。

この本が発行された昭和12年は日本が日中戦争の泥沼に入っていく軍国主義一辺倒の時代でした。そんな時代に、子どもたちが「ヒューマニズムに根差し、自分の頭で考えられる人間」に育ってほしいとの思いを持って書かれた本です。 いつの時代であってもヒューマニズムは永遠不滅であり、物事の判断を自分の頭で考え本質を追求する人間が世の中を変えるのです。

今日は現代語版とマンガ版の両方を読みましたが、これは子どもたちに読んでもらいたいこともありますが、心が汚泥に染まった大人たちにこそじっくり読んでもらいたい道徳の書であり、人間哲学の書だと思います。

人間が本来、人間同士調和して生きてゆくべきものでないならば、どうして人間は自分たちの不調和を苦しいものと感じることができよう。お互いに愛し合い、お互いに好意を尽くし合って生きてゆくべきものなのに、憎み合ったり、敵対しあったりしなければいられないから、人間はそのことを不幸と感じ、そのために苦しむのだ。
また、人間である以上、誰だって自分の才能を伸ばし、その才能に応じて働いてゆけるのが本当なのに、そうでない場合があるから、人間はそれを苦しいと感じ、やり切れなく思うのだ。
人間が、こういう不幸を感じたり、こういう苦痛を覚えたりするということは、人間がもともと、憎み合ったり敵対しあったりすべきものではないからだ。また、元来、持って生まれた才能を自由に伸ばしてゆけなくては嘘だからだ。 およそ人間が自分をみじめだと思い、それをつらく感じるということは、人間が本来そんなみじめなものであってはならないからなんだ。 僕たちは、自分の苦しみや悲しみから、いつでも、こういう知識を汲み出してこなければいけないんだ。

現代に生きる私たちは、この言葉を心に刻み生きていかなければなりません。

小林 博重

これから35年間、商人魂を持って後半生を生き抜こう

本日、田中真澄先生の「商人道から学ぶ時代がやってきた」講演を聴きました。
人生100年時代を迎えて「幸せな人生とは?」を考えるときに、65歳以降の後半生を余生から就商期にチェンジすることがその回答であると言う田中先生のお話しは実に納得性がありました。

就商とは、雇われる人生から個人が事業主になることです。
それは、労働基準法から脱するメリットが享受できることであり、自己中心的な考え方から利他を意識した考え方に変えることが必要です。

40年以上慣れ親しんだサラリーマンの特典を捨て個人事業と言う荒海に漕ぎ出すことは、なまじサラリーマンとして成功の味を味わった人は相当の抵抗があるでしょう。私などの自ら進んで飛び込んだ人間であってもそうだったですから、65歳と言う若くはない年齢では当然です。 しかし、後半の35年を幸せな人生にするためには、生涯に亙り働くことが何よりの特効薬なのです。
私は先見の明があったわけではありませんが、結果オーライ。

私は、生涯現役として100歳までの35年間、充実した人生を送ることができることを神様、仏様、私とお付き合いいただいている皆さんに深く感謝しております。

小林 博重

ぶれることなく「清く正しく美しく」

信頼感の醸成には、人間的な好き嫌いも含めてそれ相応の時間を要します。
リーダーの理念や哲学に賛同したとしても、リーダーの人間性や人間としての同調性を自らの感性として共感できなければ、その人に付いていくことはできないでしょう。
今回の突然の衆議院議員選挙は地盤・看板・カバンがない駆け出しの政治家(屋)にとっては酷な選挙戦ではあります。政治家の売りは人気投票ではなく、彼の政治哲学であり政策であるのですから尚更です。

政治の世界に限らず、信頼感の醸成はぶれないことです。ビジネスは金儲けだけと考える人は埒外ですが、経営はその人の生き方そのものであり、経営=人生と考える人は哲学を持っている人であり、そのような人は必ず成功する人だと思います。

焦らないことです。地道にコツコツ働くことです。人を人として大切にすることです。人を駒と思うリーダーは後から必ず手痛いしっぺ返しがあります。

「清く正しく美しく」は宝塚の合言葉だけではありません。

小林 博重

10月の福岡出張を振り返って

15日(日)から4泊5日の福岡出張は今日が最終日です。本日は企業訪問の他、福岡市国際部を訪問して【OUEN 塾in福岡】の現状報告です。

第1回のイベントは九州本社の企業16社に東京本社で福岡に支社がある企業3社の合計19社に協賛をいただくことになりました。訪問した企業は40社近くになりますが、その約半数から協賛いただけることになります。

これからは、22名の福岡の学生リーダーが中心となり、100名の参加学生を募集することになります。そのためには魅力あるイベントの企画にすることが不可欠です。
大学キャンパスや大学寮、共立メンテナンスの学生寮(ドーミー)へのポスター掲示、OUEN Japanホームページの【OUEN 塾in福岡】コーナーの充実、SNSの活用等々、戦術的対策を駆使しなければなりません。

また、Mapビジネスへの拡がりですが、協賛企業同士
ビジネスマッチングは自然体で進めることも考えたいと思います。

何事も一点集中、成功するまで諦めないことです。
また、ビジネスとボランティアは別々なものではなく、ベースは人の想いですから、人の心に正直に自然体で物事に取り組むことです。
知識と経験のバランスがあって人間は一歩一歩地道に前進することで成長と成功があるのだと思います。策士は策に溺れます。策を弄さず、愚直に鈍重で愚鈍なくらいがいいのかもしれません。

他山の石や自らの体験で教えられることは多くあります。少しずつですが自分が成長している感覚を感じています。
「謙虚と感謝」を忘れないこと。とても大切なことです。

小林 博重

運鈍根

何事においても成功するには「運鈍根」が必要だと言われます。

1.運がいいこと
2.些細なことに拘らない神経の太さを持つこと
3.ネバーネバーネバーギブアップ。諦めないこと

1.運
どんな逆境に遭遇しても、逆境を「乗り越えるべき壁」と前向きに捉える考え方ができる人であることを言っているのだと思います。
人によっては同じことに遭遇しても運がいいと捉える人と運が悪いと捉える人がいます。松下幸之助さんなどは溺れかけたときに「私は運がいい」と思ったそうです。死ぬところを助かったと思えば、それは運がいいことです。
私もオールラウンダーでなかったことで、私が不得手なところをカバーしてくれる人を大切にしようと思う人間になった。私はオールラウンダーでなくて良かった。私は運がいいと思います。

2.鈍
鈍重や愚鈍は成功には程遠い特徴と思われがちですが「鈍感力」がベストセラーになったように、苦を苦と思わない鈍感力がパワーの源になるのだと思います。鈍感力は感性がないということではありません。私は鈍感力がある人の方が物事を多方面から見ることができる人ではないか、感性豊かな人ではないかと思います。

3.根
ど根性ですね。どんな逆境であってもネバーネバーネバーギブアップと諦めないことです。現状を冷静に見つめて、戦略や戦術を練り直すことです。先の大戦の竹槍作戦なんかの精神主義はどうしようもありませんが、弱者は弱者なりの一点集中主義で考え抜くことです。

今週は【OUEN 塾in福岡】で福岡の大学をいくつか廻りましたが、以前とは180度違う対応を目の当たりにして、人生は「運鈍根」だなとつくづく感じました。 コツコツコツと諦めないで継続していくと、ある時点から思いもかけない上昇気流に乗ることができるものです。
後は画竜点睛を欠くことのなきように努めたいと思います。

小林 博重

福岡女子大学

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【OUEN 塾in福岡】と梶山先生

OUEN Japan設立に当たり、梶山千里先生(福岡女子大学理事長・学長、元九州大学総長)にOUEN Japan理事をお引き受けいただいたのを切っ掛けに【OUEN 塾in福岡】を開催する運びになりました。 毎月1週間は福岡に出張して、県市を始め、企業・経済団体・大学を訪問しています。
【OUEN 塾in福岡】イベントは、福岡に学ぶ日本人大学生や来日留学生と福岡の企業との(国際)交流を通じて、お互いがお互いをよく知り合うことを目的としています。 それは学生が彼らの個性や能力に相応しい企業に就職する助けになり、企業も企業の戦力になる有意な若者が入社してくれることにもなります。 延いては、それが福岡の地域活性化に繋がることだと確信しています。
地域活性化が叫ばれているなかにも福岡は数少ない人口が増加している地方都市です。飛行機で東京から約1時間半は近くも遠くもない独立国を形作るにはぴったりの距離感です。 食べ物は美味しいし、東京の衛星都市ではない地域性豊かで、義理人情に厚く、心が熱い県民性だと思います。

梶山先生が理事長・学長をお務めになっている福岡女子大学は、東のお茶の水女子大、中の奈良女子大、西の福岡女子大と言われる大正12年設立の国際性豊かな女子大学です。1学年250名のこじんまりとした大学ですが1年生の日本人学生は全員、キャンパス内の国際寮「なでしこ寮」に住むことになっています。1ユニット4名(内1名は留学生)での共同生活は国際性と感性を磨くには相応しい環境だと思います。 梶山理事長が仰ることは、
「21世紀も世界をリードし続ける日本であるためには『自ら課題を見つけ、自ら考え、自ら行動できる』独創力や創造力を身につけた若い力が必要です。皆さんの周りに起こるあらゆることに興味を持ち、何事にも何故と考えることによって自らの答えを導き出し、個性・独創性・創造性を身につけてください」

福岡女子大学は『国際性』『感性』『リーダーシップ力』『独創性・創造性』を併せ持った人材の育成に注力しているのです。
単なる掛け声ではなく、梶山理事長はそのことを行動に移していらっしゃいます。まるで青年の意気そのものです。勲一等の栄誉は過去の実績だけではなく、彼の生き様こそが勲一等なのだと思います。

小林 博重

【OUEN 塾in福岡】活動の進展

昨日は、西日本シティ銀行を訪問し【OUEN 塾in福岡】イベントのオリエンテーションについて打ち合わせしました。
【OUEN 塾in福岡】の参加学生は大学1〜2年生が中心なので、どのような観点から企業を見たらいいのかほとんど分かっていないのが現実です。

1.地域金融機関として、どのような方針で企業を応援しているのか。
2.経済の観点から、九州における福岡の立ち位置はどういうものか。
3.地域活性化の観点から福岡の企業はどうあるべきと考えているのか。
等々、西日本シティ銀行には、学生たちの参考になるアドバイスをしていただきたいと思います。

また、西南学院大学、福岡工業大学を訪問し【OUEN 塾in福岡】を学生にご紹介していただきたい、そのためにポスターを掲示していただきたいとお願いしました。

5時〜7時に学生リーダーとのMTGを行いました。これからは、学生リーダーが主体になって活動していただきたいとお願いしました。 22名の学生リーダーの内、12名に集まっていただき、これから1月までの活動について打ち合わせしました。

これからは、OUEN Japan は学生リーダーの黒子として【OUEN 塾in福岡】を成功裡に導きたいと思います。

小林 博重

「恕の心」を持つことが幸せの一番の近道

大学や後援団体を訪問して【OUEN 塾in福岡】ポスターの叩き台を示していろいろご意見をお聴きしました。主催者であるこちらが、そんなことは当然だと思うことが初めて見た人にとってはそうでないことが多々あるのです。こちらが伝えたい趣旨が伝わらないのです。それが社会経験がない学生であればもっと伝わりづらいことだとご指摘をいただきました。

何でも一点集中、根を詰めて具体的な形にしていかなければ物事は成功に至りません。しかし、そのことは蛸壺に陥ってしまい周りが見えなくなってしまうことになりかねないという危険性があるのです。

あるタイミングで部外者の意見に耳を傾けることが絶対的に必要だと思いました。つまり、相手の立場に立つということです。

孔子は、人生で一番大切なことは「恕=思いやり」の心であると言っています。

其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿れ。

それは思いやりです。自分がされたくないことを人にしてはいけません。

孔子は一番思いやりをかけなければならない相手は自分自身だと言っています。孔子は「自分自身に思いやりをかければ自分以外の人にも思いやりをかけることになる」と言っているのです。

人は自分自身が一番かわいいものです。自分が一番幸せになりたいと考えます。
自分の幸せとは何かと考えると、それは、人が心から「ありがとう」と言ってくれることではないかと思うのです。「自分の幸せのために、人のために尽くす」ことが幸せの一番の近道だと思います。 これは、孔子が言う「恕」と言うことなのではないか。私はそう思います。

小林 博重