『至誠』+『恕』⇒『敬天愛人』

1週間の出張は身体に堪える。出張すると、当然乍ら、5日間はフルに営業活動に勤しむ。歳のせいもあるだろうが金曜日にもなると、心身ともにどっと疲れが出る。それを土曜日一日で回復させるのだ。次の1週間は東京だが、こちらはどちらかと言えば外勤より内勤が多い1週間になる。お客様は来社いただくことも多い。体力の消耗は出張の時よりも格段に少なくなる。年末年始の2ヶ月を除き、私の仕事生活はそんな2週間の繰り返しだ。これはここ2年前から習慣になっている。まもなく11月で67歳だ。いつまで続くことやら。せいぜい意識して、心身ともに健康な生活を送ろうと思う。

真夜中に目覚め、来し方を振り返る。
人間の心や生き方は、座右の銘が如実に現している。では、私はどうなのだろうか。

座右の銘の変遷

①『至誠』
吉田松陰が好んだという孟子の言葉だ。
「至誠而不動者、未之有也」
(至誠にして動かざる者は、未だ之れあらざるなり)
誠の心を持って尽くせば、動かなかった人は今までは誰もいなかった。
しかし、松陰はそれがため、安政の大獄で幕府によって捕らえられ、武蔵野野辺で刑に処せられた。
至誠は天に通じなかったのだ。

②『恕』
孔子の言葉だ。
弟子の子貢が孔子に尋ねた。「先生、たった一語で、一生それを守っておれば間違いのない人生が送れる、そういう言葉がありますか」
孔子は答えた。「それは、恕かな」と。

自分がされたくないことは人にはしてはならない、それが恕だ、と孔子は説いた。つまりは思いやりということである。
他を受け容れ、認め、許し、その気持を思いやる。
自分のことと同じように人のことを考える。
そのことこそ、人生で一番大切なことだと孔子は教えたのだ。

③『敬天愛人』
かの大西郷、西郷隆盛が愛した言葉だ。
人それぞれには、天から与えられた「天命」があり、それに従って人は生きている。だからこそ、人はまず天を敬うことを目的とするべきである。
天というものは「仁愛」、すなわち人々を平等に、かつやさしく愛してくれるものであるので、「天命」を自覚するのであれば、天が我々を愛してくれるように、人は他人に対しても、天と同じように「慈愛」を持って接することが何よりも必要である」
「敬天」つまり天を敬うということは、「愛人」つまり人を慈愛するということにつながる、この「敬天」と「愛人」という言葉は、実は表裏一体、相通じるものである。

ベースに愛を持ちながら、行動すべき時は断固として行動する。
そしてその行動は、自分たちの利益や他人からの評価を求めるところから発するのではなく、大義や使命や天命といったところから発するべきものだ。

すなわち、『至誠』と『恕』を合わせて昇華させたものが『敬天愛人』なのではないか。
『敬天愛人』は私の究極の座右の銘である。

小林 博重

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第3回[OUEN塾in福岡・.北九州]の協賛企業について

8月23日18時過ぎ、北九州空港スターフライヤーの搭乗口で19:30発の羽田行きを待っている。8月19日から23日までの4泊5日の福岡・北九州出張は無事に最終を迎えた。今週は北陸は天候が優れなかったようだが、福岡はそうでもなかった。この前の金沢出張のおりは福岡は土砂降りだったが金沢は好天だった。きっと私は運がいい空の下に生まれているのだろう。

午前中に北九州市産業経済局の杉本課長がお連れいただいた若松区のOCCさん、東邦チタニウムさんの何れもOUEN塾に協賛いただけるようだ。杉本課長に改めて感謝したい。 午後一番の安川電機さんは第1回から協賛いただいており、今回も協賛いただける。

安川電機訪問の後、小倉のリーガロイヤルホテル小倉ロビーで杉本課長と再度待ち合わせをして、小倉駅傍で開催されている「KITAKYUSHUゆめみらい2019」の企業ブースに足を運んだ。小中学生や高校生が大勢来場して、未来の自分にはどんな仕事が向いているのか、真剣な眼差しでいろいろなブースに顔を出していた。北九州市産業経済局雇用政策課が主催しているようだ。北九州市は企業の誘致もさることながら雇用創出にも積極的に取り組んでいる。

そこには、前回のOUEN塾の協賛企業や次回の協賛企業候補が何社か出典していた。

日本鉄塔工業、三島光産、三井ハイテック、福岡ひびき信用金庫、

戸畑ターレット工作所、旭興産グループ、東邦チタニウム、ラック、

杉本課長にはそれぞれの会社の方々をご紹介いただいた。
自治体の幹部の方が、私のようなフーテンを応援いただくことが奇跡のようなことだ。国民の公僕である公務員は、何事も依怙贔屓することはしないというポリシーの下、物事を杓子定規に扱うことが常である。本質より形式を大事にする。それが一番自己保身になるからだろう。 だから、私は独立独歩のオーナー経営者が一番世のために尽くしていると頑なに考えているが、公務員の中には本質志向をする「公僕精神」溢れる人が稀にいらっしゃるのだ。

[OUEN塾in福岡・北九州]の協賛企業は福岡市と北九州市の自治体を除き、協賛企業は28〜32社を目処としたい。これからの追加は福岡と北九州のバランスを考えると、これからは北九州の企業に協賛していただきたいと思う。あと追加上限は4社だろうか。

来月17日に第3回OUEN塾実行委員会を立ち上げる。学生リーダーは33名が固まった。
学生リーダーの活動は10月から本格化する。
いよいよ、第3回OUEN塾はスタートするのだ。
一層気を引き締めて活動したい。

小林 博重

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福岡市、北九州市のために尽くす。

今日は北九州市産業経済局の杉本課長の先導で、北九州市の企業訪問だ。
ホテルを7時過ぎに出て、博多発7時43分のJR快速に乗る。戸畑には8時44分着。杉本課長との戸畑駅前ロータリーでの待ち合わせは9時15分。31分の余裕だ。若松のOCC訪問は10時だから、9時15分の待ち合わせも余裕だ。杉本課長も余裕ある待ち合わせ時間を指定いただいたのだ。人生全てに亙りゆとりある人生設計を持ちたいものだ。

今日の訪問先は、若松区のOCCと東邦チタニウム、八幡西区の安川電機、戸畑区の大和製罐。
企業訪問を終えて、北九州空港から21時発のスターフライヤーで帰宅の途に着く。

北九州の学生が北九州にある企業のことを良く知り理解し愛して、北九州に根をおろし、北九州の活性化に尽力してほしいと思う。OUEN塾はそのための一助になることができればと思う。

私の出張は福岡でも金沢でも基本的に月曜日から金曜日までの4泊5日だ。出張では、できるだけ多くの先に訪問しようと思う。その分、東京にいる時よりも疲れ度合いは大きい。そのため、金曜日になると「明日は休みだ」と少しホッとする。私は年中無休ではあるが、あと33年間、仕事を長く続けるためにはメリハリのある生活は不可欠だと思う。

私にとって北九州市はそれなりに思い入れがある都市だ。小学生5年の時だったか、小学館から発刊された『小学生社会年鑑?』を買って、貪るように読んだ。その中に北九州の5市が合併して、日本で第1号の政令指定都市「北九州市」や、東洋一の橋として「若戸大橋」のことが書いてあった。その5市は、八幡・小倉・戸畑・門司・若松。社会科の成績は記憶力が一番。私の記憶力は半端ない。よく覚えている。そんなことで、北九州市は幼少の私には印象深い都市なのだ。

OUEN塾は、福岡市からスタートして、北九州市に至り、その形はできあがった。後は、その中身を如何に充実していくかだ。その意味は、OUEN塾を、学生にも企業にもハッピーなイベントにしていくことだ。
協賛いただいている企業を訪問し、ざっくばらんに本音をお聴きすると、それが見えてくる。私がもっと先見性のある、先を見る目を持っていれば、自ずと分かることかもしれないが、如何せん、現場を経験しないと血肉にすることができない鈍臭いところがあるので、こればかりは致し方ない。許していただこう。

とにかく、OUEN塾は、福岡市と北九州市の地域活性化のために、あらゆることを駆使して尽くしていこうと思う。毎月1週間の出張は、身体が許す限り続けることになるだろう。

小林 博重

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星稜野球は人格形成/松井秀喜さんのコメント

全国高等学校野球選手権・決勝は、星稜が5対3で履正社に惜敗した。石川県出身者である私としては残念至極だ。

星稜OBの松井秀喜さんがコメントを出している。彼は超一流の野球選手だが、私は彼の高校時代から、一人の人間として心から尊敬している。 彼の人格はお父上の教育方針から育まれたもののようだが、星稜野球部もその一翼を担っているのだろう。

[松井秀喜さんのコメント]
結果は残念でしたね。見ていましたよ。決勝戦だけではなくて、インターネットで全試合見てました。
でも、仕方が無いです。勝者と敗者が必ず出てしまうのが野球です。履正社とお互いに精いっぱい戦って、負けたわけですから。
決勝戦も非常にいい試合でした。七回の同点劇の攻撃なんか、素晴らしかった。チームとしては、奥川君を中心とした、まとまったチームに見えました。守備も良かったし、打撃は苦しんでいましたが、智弁和歌山戦以降、爆発しましたね。今までの星稜だったら、智弁和歌山に負けて終わり。甲子園での死闘は必ず敗者になった。あの試合に勝てたことは、今までの星稜の歴史を変えてくれたと思います。令和元年、101回目の甲子園で、何か新しい歴史が始まる感じがしました。

林監督については、選抜大会以降、彼も大変だったと思う。(謹慎の)2カ月間、野球を離れて、彼も自問自答し、新たな出発をしてここまで来られたことは、素晴らしいですし、大きな財産になったと思います。でも、ここで優勝できないのが、星稜。母校のそういう所も大好きです。何か新たな宿題が残った感じですね。また、新たなチャレンジをして全国制覇を狙ってもらいたいですね。

ただ目標は全国制覇かもしれませんが、星稜高校野球部のモットーは、あくまでも、野球を通しての人間形成です。それが校訓である「社会に役立つ人間の育成」につながっていくと考えています。

後輩達のプレーにたくさん感動させてもらいました。林監督はじめ選手の皆さん本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

野球を通じての人格形成。すなわち、いわゆる『野球道』だ。棺を覆うまで人間を磨き続けることだ。
OUEN塾もそのような学生のイベントでありたいと思う。

小林 博重

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縁を生かす。

九州北部信用金庫協会の篠原専務から、月間『致知』に掲載(2005年12月号)された「縁を生かす」という文書を紹介された。 素晴らしい人生を送れるか否かは、縁を生かすか否かにかかっている。

[縁を生かす]
その先生が5年生の担当になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。 ある時、少年の1年生からの記録が目に止まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

2年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。
3年生の後半の記録には「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、
4年生になると「父は生きる希望を失い、アルコール依存性となり、子どもに暴力を振るう」
先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。 先生にとって目を開かれた瞬間であった。放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないことは教えてあげるから・・・」
少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は自分の机で予習・復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手を挙げた時、先生に喜びが湧き起こった。

クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。後で開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんの使っていたものに違いない。 先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!今日はすてきなクリスマスだ」

6年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」

それから6年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」

10年を経て、またカードが来た。そこには先生と出会えたことへの感謝と、父親に叩かれた経験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。あのままダメになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、5年生の時に担当してくださった先生です」

そして1年後。届いたカードは結婚式の招待状だった。
「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。

たった1年の担任の先生との縁。
その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。
ここに少年の素晴らしさがある。

人は誰でも無数の縁の中に生きている。
無数の縁に育まれ、人は人生を開花させていく。
大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。

胸が熱くなる話ではないか。
袖振り合う縁をも生かす人が幸せな人生を生きることができる。
与えられた縁を大切にしたいものだ。

小林 博重

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OUEN塾が協賛企業にしなければならないこと

本日訪問した、リックスと三島光産とやまやコミュニケーションズとダイショーの4社は、OUEN塾に協賛いただけるようだ。ホッとした。

OUEN塾は次回が3回目。2回は試運転で大目に見ていただけるが、3回ともなると、そあは問屋が卸さない。いろいろ注文が出る。私も皆さんのご指摘は充分承知の助だ。
OUEN Japan は年1回のOUEN塾を主催していれば良いわけではない。協賛企業からすれば、何のために協賛しているのかということだ。私はボランティアであるが、協賛企業の皆さんはボランティアではない。きちんと見返りが目に見えて来なければ、協賛をしていただけないのだ。

2月のOUEN塾では、学生は大学1〜2年の低学年だ。彼らは4月から2〜3年生になる。企業は夏頃からいろいろな形のインターンシップを開催する。その対象は大学3年生を中心に、その目的ははっきり言って人財採用だ。インターンシップは実際のところ、採用活動のスタートの位置付けになっているのだ。
OUEN塾はリクルート活動ではない。しかし、OUEN塾を終えた後は、OUEN Japanは協賛企業を応援するために、「学生に対して、企業のインターンシップを紹介する」等のサポートをしていくべきではないかと思う。そうでないと、企業はOUEN塾の協賛はしていただけないことにもなるだろう。

明日は8月の福岡・北九州出張の最終日だ。9:15に戸畑駅で北九州市の杉本課長と待ち合わせて、課長の運転でOUEN塾に感触が良い企業を何社か訪問する。北九州市に、このような破格のOUEN塾の応援をしていただくことに深く感謝する。ありがたいことだ。その恩返しはOUEN塾でしなければならない。

処暑も過ぎ、暑さのピークは過ぎたようだ。暑いには暑いが、太陽の眩しさは徐々に柔らかくなってきている。
もう少しの辛抱だ。酷暑を乗り越えて、早く、爽やかな秋の空気を感じたいものだ。

小林 博重

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ビジネスとボランティアの渾然一体化で、人生を生きる。

博多区山王のリックスの訪問を終えて、JR鹿児島本線快速(博多⇨折尾)、普通(折尾⇨枝光)に乗り継ぎ、北九州の三島光産に向かう。1時間20分の旅だ。 その後、福岡市東区のやまやコミュニケーションズとダイショーを訪問する。

この4社には、第3回OUEN塾の協賛のお願いと、OUENリーダーの主体的活動(OUEN塾とインターンシップの有機的に繋げること)についてヒアリングしようと思う。
企業にとってOUEN塾協賛の狙いはリクルートなのだから、それにどのように関わってお手伝いができるかをOUENは考えなければならない。それが相手のことを考えるということだ。

また、OUEN Japan は、学生の応援団であるだけではなく、障碍者の応援団でもありたいと思う。これも障碍者雇用で悩んでいる企業のニーズに応えることだ。

さらに、Mapは、ビジネスマッチングにより、売り上げアップや経費削減のお手伝いをしたいと思う。これも企業の応援である。

ボランティアとビジネスの両面での企業と社員の皆さんへの応援こそ、私が目指しているOUEN&Mapの面目躍如とするところだ。

人間の活動はここまでがビジネス、ここからがボランティアと分けれるものではない。働き方改革は、仕事とプライベートをバランスよく仕切って心身ともに健康な生活をすることを目的とするものだろうが、これは私には全く当てはまらない。私の場合は、私の人生全てが混在一体化しているので、一般的に言われるバランスの概念はないのだ。それが私の楽しい人生の送り方であり、だから私にしか通用しない考え方かもしれない。そんな男と生涯をともにしてくれる妻には感謝している。そんな奇特な人は、ほかに誰もいないと思う。

私はある意味では極端な利己主義者だと思う。それは利他主義に通じると思うから、私は気持ちよくボランティアやビジネスをしているのだ。 人生はループだ。利己と利他は正反対ではなく、究極のところ繋がっているのだ。だから、中途半端な利己主義や利他主義は私の望むところではない。 それが私の人生哲学だ。

小林 博重

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人間万事塞翁が馬

昨日は、福岡女子大学〜福岡工業大学〜三好不動産を訪問し、天神で九州シー・アイ・シーの鶴常務と待ち合わせして打ち合わせをした。OUEN塾の経過報告とMapのビジネスマッチング関連だ。これらは順調だったのだが、私が有意注意を怠ったため、エライことになりそうになったのだ。財布より大切な、私の命の次に大切な「黒革の手帳」を失くしてしまったのだ。福岡工業大学を訪問する前に気がついた。どこへ置いてきたのだろう、ホテルに置いたままにしてきたのだろうかと、それまでの私の行動を思い出しても思いつかない。きっと直前に伺った福岡女子大学の梶山理事長の理事長室なのではないかと思い、秘書の髙橋さんにお電話して聞いてみても、理事長室にはないという。それではきっとホテルだろうと思って、三好不動産訪問の前に少し時間があるからホテルに戻ることにした。
福岡工業大学の訪問を終えて、博多のホテルに向かっていた時に、秘書の髙橋さんから電話があり、「手帳は理事長訪問の後に伺った財務グループの部屋にあった」と。
ホテルに戻って、手帳がなくて途方にくれることを考えたら、どっと力が抜けた。
髙橋さんに、手帳を6時過ぎに天神駅地下のドトールコーヒーまで持ってきていただいて事なきを得た。

髙橋さんに何かお礼でもと考えた。「そうだ。髙橋さんがご都合が良ければ、夕食でもご一緒しよう」ということで、天神でボトルが入っている四川料理の三鼎福岡に行ったが、昨日は予約でいっぱいだった。では、梶山理事長にご紹介いただいた春吉にある福喜だと思い、女将さんにお電話したところ、ちょうどカウンターの2席が空いていた。
福喜には私のボトルが入っている。3ヶ月ぶりだろうか。髙橋さんと美味しい海の幸とお酒を堪能した。
こんな事でもないと髙橋さんとは懇親の席を持つことはなかっただろう。髙橋さんとはOUEN塾のことや人生についてまで、いろいろな話をした。私の息子と同い年だとか。
私は、もう自分の子どもの年代の人たちと、人生の話ができるほどの高齢になったのか。11月で67歳だ。ビジネスでもボランティアでも、お付き合いするのは、18歳を下限に、殆どが私より若い人たちだ。おかげで心は若返る。そして自分が歳を取ったことを実感する。

しかし、梶山理事長は私より一回りも上。心身ともに青春そのものだ。それを考えると私も負けてはおられない。

人生の大先輩と、青年・壮年・熟年の歳下の人生の後輩たち。彼らのおかげで私は素晴らしい白秋を愉しむことができる。全ての人たちに感謝したい。

小林 博重

[人間万事塞翁が馬]

昔の中国のお話です。
ある塞(砦)に近いところにおじいさんとその息子が住んでいました。
ある日、おじいさんが遊牧民族の地へ逃げていってしまいました。
周囲の人ががいなくなったことを悲しんでいるだろうと思いました。
しかし、おじいさんは「いやいや、これが幸福になるかもしれないのだよ」と笑っています。
そして、数ヵ後そのが逃げていった地の良を連れて帰ってきたのです。
しかし、おじいさんは「もしや、これが不幸の元になるかも知れぬ」と心配そうです
おじいさんの言ったとおり、その連れ帰ってきたに乗っていた息子が落してしまい、
股(もも)のを折る大怪をしてしまったのです。
それでも、おじいさんは「もしかしたら、これは幸福だったのかも・・・」と言います
その年、おじいさんたちの近くの砦に突如敵が攻め込み大きな戦が起こりました。
その砦の周囲の若者は戦に借り出され、そのどが戦死してまいました。
しかし、そんな中おじいさん息子折していたために戦に借り出されず、事に生き残ったのでした。

で、何が言いたいのかというと「何かが起こった時、一見幸福でも後の災いに、一見災いでも後の幸福になることがある。人間の幸不幸は解らないものである」ということである。

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『恕の心』が、人の心を動かす。

昨日、初めてJR篠栗線で、久原本家グループ本社を訪問した。

東京の人材紹介会社AIMS取締役だった阿部さんが、同社は素晴らしい会社だと教えてくれた。阿部さんは久原本家の担当ではなかったが、同社は人財を募集していて、AIMSがその要望に応えたらしい。
阿部さんは私に「OUEN塾を福岡で開催しているのなら、一度、久山町の久原本家を訪ねてみたらどうか。あご出汁で有名な会社だ。『茅乃舎』というレストランも予約なしでは利用できないほどの人気らしい。海外にも積極的に展開しており、日本人大学生のみならず留学生も積極的に採用していると思う」と。

阿部さんに紹介をお願いするわけにはいかず、どうしたものかと思案していた。そういえば、福岡の異業種交流会『福岡賢人会』に参加したおり、久原本家の何方かと名刺交換をしたような。名刺帳をめくってみたところ、塚本常務の名刺があった。とはいえ、お会いしたのが2年半前だ。お電話しても私のことは覚えていらっしゃらないだろう。 そう思って、この会の主催者である、元住友生命の鳥井さんにお電話してみた。
鳥井さんは「塚本さんは今年、常務を退任されて特別顧問になったようだ。とにかく、塚本さんに電話してみる」と。
そして、私が塚本さんにお電話をしたところ、私をよく覚えていると。よかった。

塚本さんと福岡の事務所でお会いすることになり、お話しを聞いていただいて、総務部の高橋部長をご紹介いただいた。そして、昨日訪問した次第だ。

JR篠栗駅からタクシーで2,000円前後。受付で女性にブースまで案内された。そこには「OUEN Japan団長 小林博重様、ようこそいらっしゃいました」と、ウェルカムカードがあった。
そこに、穏やかな紳士然とした高橋部長がいらした。それはにこやかな笑顔での対応だ。人の心は鏡。私も穏やかな気持ちで、事の経緯をお話しして、OUEN塾の協賛をお願いした。

元はといえば、OUEN塾は、福岡女子大学梶山理事長兼学長に背中を押されて始めたものだ。梶山さんのお話しをすると、高橋部長は「梶山理事長と弊社の河邉社長は、だんだんボックス実行委員会の応援団であり、大変懇意だ」と。どこで人は繋がるか分からない。世間は広いようで狭い。

また、私が石川県出身で、石川県でもOUEN塾を開催する予定だとお話しをしたところ、高橋部長は「私は岐阜の生まれだが、大学は金沢大学を卒業した。大学ではボート部で、いつも河北潟でボートを漕いでいた」のだとか。これまたビックリだ。

会社も人も品性がその価値を決める。相手のことを思いやる『恕の心』が人の心を動かす。「人のために」は必ず「自分のために」に通じる。

昨日は、思いがけず素晴らしい会社に巡り会えた一日だった。

小林 博重