真の勝負師とは

昨日、TBSのサンデーモーニングで田中秀征さんが永世七冠を達成した将棋の羽生善治さんについて深いお話しをされていました。

田中さんは大の将棋好きだそうで、数年前から羽生さんが永世竜王になることを待ち望んでいたとか。
羽生さんが他の将棋指しと違って魅力ある傑物なのか?

1.羽生さんは小学生に将棋の指導をする時でも、小学生から学ぼうとする謙虚さを持っている。チェスやAIからだけではなく、格下の将棋指しからも絶えず何かを学ぼうとする謙虚さがある。
2.羽生さんは、相手の土俵に入って、相手に得意技を発揮させて勝つ。「勝利」に拘って反則一歩手前のような横綱相撲らしからぬ将棋は指さない(暗に「勝ちに拘り、張り手など反則紛いの技を繰り出す横綱白鵬と対比されているのでしょうか)。 羽生さんの将棋は見ていて美しい。
*このことは、村田英雄の浪曲「王将」の中で、関根金次郎との棋風の違いについて娘のお玉に言わせています。「お父ちゃんの将棋は勝てばいいだけの荒くれ将棋だ。関根さんは天下の名人らしく、駒がスーと出てくる。お父ちゃんはパチンパチンと音がする。銀が泣いている。私はどっちに行けばいいのでしょうと。将棋は勝てばいいというものではない。将棋は美しくなければ将棋ではない。たとえ関根さんに勝って名人になっても本当の名人ではない」と。

当に日本らしい勝負哲学です。(大相撲とモンゴル相撲との違いもそんなところにあるのでしょうか)
羽生永世七冠は堂々とした横綱相撲を取る美しい将棋指しだということです。

同じく「謙虚さと美しさ」は経営にも言えます。
やはり、私は日本人。勝ちに拘る前に美しく勝ちたいと思います。美しく勝てなくなったとき、静かに身を引くことが真の勝負師なのだと思います。

小林 博重

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ご縁を大切にする(2)

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ご縁を大切にする

【OUEN塾in福岡】イベントは後援団体や協賛企業が決定して、12月から来年1月にかけて、来年2月の開催に向け、大学生や留学生の参加を募っています。 「参加学生募集ポスター」を作成して、福岡市の大学や学生寮に掲載してもらっています。
日本人大学生と留学生が半々の各50名ずつの合計100名の大学生(1〜2年生が中心)が4グループに分かれて20社の協賛企業を訪問し、企業オーナーや経営幹部、先輩社員の方々との交流を通じて福岡の企業を知り、福岡を一層好きになってもらうことを目的としています。延いては卒業後に福岡に就職してくれたら福岡の地域活性化にも資することになると思います。

このイベントを福岡本社の西日本新聞社に取材していただこうとと思い、私の故郷の石川県が本社の北國新聞社に西日本新聞社のご紹介をお願いしました。 これが切っ掛けで、北國新聞社から私がインタビューを受けて、11月6日の北國新聞朝刊の「ふるさとサポーター」欄に掲載されました。 加えて【OUEN Japan望年会】に北國新聞社と西日本新聞社の東京支社からご出席いただくことになりました。

人と人の繋がりは無限大に広がっていきます。タモリの「友達の友達は皆友達」は人間関係を豊かに楽しくします。
幸せな人生を送るコツは「絆を結び合う」ことから始まるのです。

柳生家の家訓
小才は縁に出会って縁に気付かず。中才は縁に気付いて縁を活かさず。大才は袖振り合うた縁をも活かす。

私たちは、大才になるべく人生を送りたいものです。

小林 博重

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「年金についての考え方」を考える

「年金の支給開始年齢を55歳から60歳に引き上げる54年の法改正などを受け、曲折を経ながらも日本の企業社会に60歳定年が定着した。そして今、一部の大企業は65歳までの引き上げに動いている。2030年には65歳定年の時代が来るに違いない」 「30年の日本は65歳以上の人の割合が31.2%に達する。高齢者を現役世代が支える現在の社会保障の仕組みを続けるなら、3人に1人が支えられる側になる。 もし65歳〜74歳の人の半分が支え手側に回れば、支えられる側は25.2%に下がり、現在の水準を維持できる」
「健康状態が同じであっても、人々は昔に比べて働かなくなっている。1975年には平均余命まで20年ある57歳男性の就業率は91%。2015年には平均余命20年弱の65歳男性の就業率は62%にとどまる」

日本経済新聞の12月7日朝刊の一面の「2030年への責任」からの抜粋です。

先月に65歳になり高齢者の仲間入りしたこともあり「65歳定年」や「高齢者」という言葉に今まで以上に敏感に反応するようになりました。

私は個人会社の経営者という立場であり、年金については貰う立場ではなく支払う立場なので、65歳を区切りとして考え方や生き方が変わるものではありません。しかし、同年代の高校や大学の同期たちは、殆どが65歳は大きな区切りの年齢なのです。

私から言わせれば、ケネディの箴言
「国家に対して何を望むかよりも、自分が国家に何を奉仕できるかを考えるべきである」
を思い浮かべるべきではないかと思うのです。

決して1975年の日本人が意識が高くて就業率が高いわけではないのです。1975年には、余命20年の57歳の男性は、単にその時、定年が60歳になっていたか、生活が今より豊かでなかったからだと思います。自らの意思で働いていたわけではないと思います。

これからは、国に頼るのでなく、自分のことは自分で考える「自助の精神」を醸成することが今まで以上に求められている時代になったということです。 そのためには、やはり生涯現役を貫くことを生き方の哲学にする必要があると思います。考え方だけではなく、身体の健康にも人一倍留意することです。

小林 博重

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楽しく仕事をする喜び

今週は、再来週の火曜日に開催するOUEN望年会の事前準備(出席者やテーブル席順の確定)に追われる1週間でした。
出席者は200名に及びます。10名と9名のテーブルが21テーブル。テーブルの席順を考えるのが一苦労です。いろいろな観点から何回も推敲して決定します。
OUEN Japan の望年会ですが、私の人脈の異業種交流会でもあります。私としてはOUEN Japan を応援してくださる皆さんを応援して差し上げたいと思います。応援は双方向の心の交流なのです。

私の事務所は築30年以上のマンションなので、最近のセキュリティが万全なビルとは違い、セールスの人が時々お見えになります。殆どお断りしますが、面通しできる会社や個人宅は今は殆どないのではないでしょうか。 いらっしゃる方は会社に入りたての新入社員なのだと思います。決まり文句のセールストークです。
私は昭和51年に銀行に入社し渋谷支店に配属されました。1日100件の飛び込み営業で、新規取引を6ヶ月で100件が目標でした(私は80件くらいの実績でしたが)。当時は何の疑問もなく真面目に言われた通りのことを実行しました(時々は1日中サウナでサボっていましたが)。 社会の厳しさを味わう、という意味があったかもしれません。
「仕事は給料をいただくのだから苦痛は当たり前。仕事は辛いもの。契約をいただいた時の喜びはひとしお。そのことを思って頑張れ」 これでは仕事は決して楽しいこととは思わないでしょう。

今日、OUEN望年会に出席する30歳前後の営業マンが入社2年目の部下を同行して私の事務所に来られたのですが、その部下の人も私の新人の時のような飛び込みを繰り返しているとか。同じように、生命保険のセールスレディも昨今は特に飛び込みが難しく、仕事は厳しいのだと思います。

私のように、それなりの質量とも豊富な人脈があって、それを活用するビジネスが展開できるようになるには、ただ馬齢を重ねるだけではできるものではありません。しかし、年齢を重ねなければならないことは事実です。

人それぞれですが、生涯現役がベストと思いますので、仕事は楽しいものでなければ長続きしないと思います。義務感で仕事はしてはいけないのです。

Map&OUENを通じて、若い人たちには、仕事の意義、意味、楽しさを伝えていきたいと思っています。
そのためにも、私の人脈が大いに活きるのではないかと思っています。

小林 博重

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「人間として何が正しいか」を判断基準とする/稲盛和夫箴言集か ら

稲盛和夫箴言集の日めくりカレンダーの8日に『「人間として何が正しいか」を判断基準とする』があります。

稲盛和夫さんは、下記のように述べていらっしゃいます。

われわれ人間は、生きていく中で常に判断を迫られる。特に、経営者は些細な問題であっても、判断をひとつ間違えれば会社の存続に関わってくる。 その時、人は往々にして損得を基準に判断して誤ってしまう。私は、人間として正しいか正しくないか、よいことか悪いことか、という正不正、善悪を判断基準にしてきた。経営も人間が人間を相手に行う営みなのだから、そこですべきこと、あるいはしてはならないことも、人間としてのプリミティブな規範に外れたものではないはずだ。人生も経営も、人間を律する道徳や倫理に則して行われるべきだし、また、その原理原則に従えば、大きな間違いをしなくて済む。

ごく当たり前のことですが、なかなかできることではありません。
たえず「人間として何が正しいか」を判断基準として生きていきたいものです。

小林 博重

自己中と成長

市川市内を流れる江戸川放水路河川敷で牡蠣の殻が大量に捨てられ問題になっています。数年前から牡蠣を採りに来る中国人が増えて以降、河川敷が大量の牡蠣殻で埋め尽くされるようになったらしい。中国人は牡蠣を採ると海岸で牡蠣殻を解体し殻を捨てていくのだそうです。 牡蠣殻で子供が怪我をする事故が増えており、環境保全の観点からも、国や市は牡蠣殻を回収する対策に乗り出したそうです。

自分が良ければそれでいいという中国人の自己中には困ったものです。
この「自己中」について、最近思うところがあります。
私は大学応援部のOB・OG会(赤門鉄声会)幹事長やOUEN Japan団長として、私の世代の中では大学生と接する機会が最も多い部類なのではないかと思います。
自分の若い頃を思い出しても「最近の大学生は」などと言うつもりはさらさらありませんが、社会人一歩手前の大学生の頃はまだまだ「自己中」の域から脱していないのだと思います。当に「青春時代」の歌詞にある“胸に棘さすことばかり”です。 自己中は大学生の特権ではなく、大学を卒業して社会人になっても自己中から脱しきれない、上記の中国人のような人を間々見受けますが。

「自己中」と「主体的に考え、生きる」とは同じことではなく、全く正反対な意味の生き方です。
「自己中」は全体(周り)が見えていないのです。人との距離感が分かっていないのです。相手が何を考えているか、何をしたら喜ぶか、気分を害するかに思い致すことができないのです。すなわち、孔子の言う「恕の心」がないのです。
それに対して「主体的に考え、生きる」ことは、「自分とは何か」を突き詰め、全体の中の自分の立ち位置をしっかり把握して、自分の能力を最大限に活かす生き方をすることです。それは相手や全体のことを考えることができる「恕の心」を持っているということです。

人間はいろいろな経験を経て「恕の心」を身につけて、自己中から脱して大人になっていくのです。
また、大人も完成形はなく、いつも未完であることを忘れてはいけません。棺を覆うまで修行の日々なのです。

「きょういく」とは、教え育てる「教育」ではなく、共に育つ「共育」であることを忘れてはなりません。教育はともすれば謙虚さを失うのです。共に育つという発想が大切だと思います。

小林 博重

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目指す人間像とは

昨日訪問した(株)日本医療企画の会社案内を拝見して、林社長の経営哲学が充満しており、会社経営はトップの考え方(哲学)そのものであると改めて感じました。

同業トップになるとか、売上や利益がどうだとか、それは結果であって、目指す目的ではありません。
同社はヘルスケア分野No. 1を目指す「プロ集団」だとか。
そのためには一にも二にも「人づくり」です。キーワードは“人財(人材ではなく)”です。

では、目指す人間像とは?
1.ロマンチスト
どのような環境にあっても、常に夢や希望や勇気を失わない「ロマンチスト」である。
2.柔軟人間
変化を恐れず、過去にこだわらず、創造的破壊のできる「柔軟人間」である。
3.相対人間
自己中心、唯我独尊に陥らず、常に相対的感覚を持った「相対人間」である。
4.行動人間
一般社会の“常識”に拘らず、常に旺盛な好奇心と問題意識を持って行動する「行動人間」である。

【言うは易く行うは難し】

昨日初めてお会いしたにもかかわらず、オープンで謙虚。ざっくばらん。懐が広く深い。人を引き込んでしまう魅力的な御仁です。
伊藤忠の瀬島龍三に可愛がられたと言うのも、さもありなん。人は人を見るものです。
*林社長の名刺の字は瀬島龍三が揮毫したものだそうです。恐れ入谷の鬼子母神。

瀬島龍三の略歴
富山県小矢部市出身。日本の陸軍軍人、実業家。大本営参謀を歴任。最終階級は陸軍中佐。戦後は伊藤忠商事会長、中曽根康弘首相の顧問など要職に就任。政治経済界に大きな影響力を持ち「昭和の参謀」と呼ばれる。

土光敏夫然り、瀬島龍三然り。戦後の経済界からは少なからず傑物が輩出したものです。

「大才は袖振る他生の縁をも生かす」とか。郷里の大先輩から多くの学びを吸収したいと思います。

小林 博重

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羽生善治永世七冠の誕生に思う

羽生善治さんが永世七冠を達成しました。
七冠といえば「竜王」「名人」「王位」「王座」「棋王」「王将」「棋聖」の七つのタイトルです。それのいずれでも「永世」の称号を獲得したのです。不世出の大記録です。

羽生さんは竜王戦勝利の挨拶で「まだまだ将棋のことが分からない未熟者」と生涯かけて将棋の神髄を極めたい旨のコメントをしています。 この天才にしてこのコメントなのか、“実るほど頭を垂れる稲穂かな”。真の天才は謙虚であってこそ、なのでしょう。

羽生善治永世七冠の箴言
三流は人の話を聞かない。
二流は人の話を聞く。
一流は人の話を聞いて実行する。
超一流は人の話を聞いて工夫する。

人の話に謙虚に耳を傾けて、意見を参考にして、創意工夫を重ね、実行する。
天才と言えども、生まれ持った天賦の才に加えて、凡人にはできないコツコツした努力の積み重ねがあって、天下を征することができるのです。

大相撲の新旧の大横綱のバトルを見るにつけ、国技も地に落ちたものだなと嘆かわしく思っておりましたが、年の瀬の素晴らしい偉業に日本人である喜びを味わうことができました。

小林 博重

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故郷能登の大先輩との出会い

本日、郷里の北國新聞社東京支社松井孝営業部長のご紹介で(株)日本医療企画代表取締役の林諄さんにお会いしました。林社長は私と同じ石川県中能登町のご出身です。私は旧鹿西町、林社長は旧鳥屋町です。それも実家がそれそ町外れにあって部落が隣同士という親近感満載の出会いでした。

林諄さんの略歴
石川県中能登町(旧鳥屋町)出身。昭和38年、神戸商科大経営学部卒。サンケイ新聞(現産経新聞)大阪本社入社。昭和48年7時から東京本社にて、旧通産、厚生省担当。53年退職。昭和55年、能登企画(現日本医療企画)代表取締役。平成27年、東久邇宮国際文化褒賞を受賞。

元新聞記者だけあって興味深いお話をお聞きすることができました。新聞記者の在りようが昔と今では様変わりだ。昔の新聞記者は国士がいたものだが今は国士はどこにもいないと。

また、林社長は私の高校同期のご親戚でもあり、故郷の話に花が咲きました。
金沢が生んだ室生犀星の「ふるさとはとおきにありておもふもの」の詩や石川啄木の短歌「故郷の訛り懐かし停車場の人混みのなかにそを聞きに行く」は故郷を懐かしむ心情を言い表していて、故郷の訛りで故郷の話をするだけで半世紀前が脳裏に浮かぶのです。

OUEN望年会には医療関係者や石川県出席者も何人かいらっしゃいますのでお誘いしましたら快く受けていただきました。やはり望郷の想いは忘れがたいもののようです。

袖振り合うも他生の縁
大才はそで振り合う縁をも生かす

人様とのご縁は大切にしたいものです。

小林 博重

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